趣味

Formula 1 私の人生の原点

今日は私の人生の原点について書きたいと思います。

お前はそもそも誰やねん???
お前の原点なんて興味ないわっ!!

・・・とか言わずにお付き合いください😘

1991年アメリカGP

最初に結論を言ってしまいますが、私の原点はF1です。

そうです、自動車レースの最高峰、Formula1です。

私が最初に見たのは1991年の開幕戦、アメリカGPです。
小学校を卒業した直後のことです。

当時F1はブームの真っただ中で、いろんなテレビで取り上げられていました。

ですが私はほとんど興味がありませんでした。
というのも実は私は小さい頃から車酔いがひどく、車が大嫌いだったんです。

電車は好きでよく親にせがんで模型を買ってもらったりしましたが、
車に乗るのはもちろん、ミニカーを見るのもイヤなくらいでした。
ミニカーを見ると車酔いをしてしまう時の辛さがこみあげてくるんです。

そんな私がなぜF1に興味を持ったかというと、親戚のお兄ちゃんの影響です。

私が小さいころから大好きだった4歳上の親戚のお兄ちゃんがいたんですが、
そのお兄ちゃんがF1が好きで、よくF1のゲームをやっていたんですね。

そこでお兄ちゃんが友達とドライバーやチームの名前を出して話をしているのを聞いていました。

その会話からドライバーの名前やチームの名前、1つのチームに2人のドライバーがいること、
中嶋悟と鈴木亜久里という2人の日本人ドライバーがいること、
日本のホンダがエンジンを供給していて、そしてめっちゃ強いこと、
それからQタイヤの存在も知りました。

Qタイヤというのは当時使われていた予選専用のタイヤで、
めちゃくちゃ短命なんだけど、めちゃくちゃ早いタイムが出るスペシャルタイヤのことです。

お兄ちゃんたち楽しそうに話をしながらゲームをやっているんですが、
私にゲームをやらせてくれません。

ですが、私はその会話に入りたくてずっとゲームの画面を見ながら聞き耳を立てていました。
そして、お兄ちゃんたちがやっているゲームを見て完全にコースを暗記しました。

お兄ちゃんたちがいない時にこっそりそのゲームをやったのですが、
何回かやっただけでお兄ちゃんのタイムを上回ってしまいました。

そこでゲームとお兄ちゃんたちの会話の中に出てくるF1の世界に興味を持ったわけです。

やっぱりアイルトン・セナでしょ

最初に興味を持ったのは、ご多分に漏れず、セナでした。

お兄ちゃんたちはフェラーリのプロストが好きだったような記憶がありますが、
当時日本はセナが大人気。
猫も杓子もセナばかりでしたね。

私も赤と白のマルボロカラーに塗られたマクラーレンとホンダエンジン、
それからアイルトン・セナに興味を持ちました。

当時はフェラーリも強かったし、真っ赤な車は確かにかっこよかったんですが、
ホンダエンジンを搭載していて赤と白のマルボロカラーに塗られたマクラーレンと
それを操ってチャンピオンを獲得したアイルトン・セナにも当然のように興味を持ちました。

俺もお兄ちゃんと同等に話せるようになりたい!!

そう思ってアメリカGPを見ることにしました。

1991年の開幕戦です。
当時はお兄ちゃん達との会話に入りたい一心で見始めたので、
特に何かを期待しながら見たわけではなかった記憶があります。

ですがそこでセナがぶっちぎりのポール・トゥ・フィニッシュ。

そこからはブラジルGP、サンマリノGP、モナコGPと無敵の開幕4連勝。
セナ以外には勝てないんじゃないかというくらい、
セナが勝つのが普通になっていました。

そりゃ、セナの虜になるのは当然ですよね。

この年のブラジルGPはセナのキャリアの中で初めての母国優勝で、
ギヤボックスのトラブルのために終盤には6速しか使えなくなったマシンで優勝したという
歴史に残る名レースの1つなのですが、
残念ながら夜中にやっていたのでタイムリーで見ることはできませんでした。

これは今でも悔やまれることです。

とにかく私はどっぷりF1にはまることになってしまいました。

カートをやるために新聞配達

ここまでは普通のF1ファンなのですが、次に思ったことが

俺もF1ドライバーになる!!

でした。

今から思えば、アホな中学生やったなあと思いますが、
私は大マジです。

F1ドライバーになるためにはカートをやらないといけないということを知り、
カートを始めたいと思いました。

ですが、簡単に買ってもらえるような金額ではありません。
親にも言ってみましたが、もちろんダメでした。

親からしてみれば、大金であったことももちろんあったと思いますが、
大人になってから母親に聞いたところ
「この子、どうかしてもうたんやろかと思った」
と言っていました。

とにかく、お金を貯めないといけないと思って、
中学生でもやれるバイトを探しましたが、
そんなバイトは新聞配達くらいしかありません。

そこでさっそく新聞配達を始めることにしました。

目標は50万円。
ヤマハの国産カートが50万円だったからです(確か)。

当たり前の話ですが、雨の日も雪の日も毎日配達しましたよ。
私の田舎は北国なのでほんとに雪が降るんです。
朝早かったから車の轍もありません。
雪の中を自転車を引きずりながら配達しましたよ。

その日配達する新聞を6時までに店に取りに行けば、
毎日100円バイト代が上乗せされるんです。
だから、毎日6時までに新聞を取りに行ってました。

それで毎月2万円くらいだったかなぁ、中学生にしては大金です。
ですが、目標の50万円を稼ぐのは簡単ではありません。

親やおばあちゃんからもらえるお小遣いもいっさい使わず、
2年弱くらいやったかなぁ、なんとか50万円を貯めることができました。
親やおばあちゃんが助けてくれたというのもあります。
これには、本当に感謝ですよね。

バイトをするだけではありません。

ドライバーは体力が必要ということを知り、ランニングを開始しました。

これまた私は長距離走が本当に苦手で大っきらいだったんですが、
人間、目標があると頑張れるもんなんですよね。

毎日部活から帰ってきてから走りに行ってました。
これも雨の日も雪の日も走りましたよ。

・・・雪の日は走ってなかったかもしれませんが、
まあ、それはよしとしましょうか。

ランニングをした後は筋トレ。
ベッドに横になって首の上に鉄アレーを乗せて首の筋肉を鍛えたりしていました。

今思っても本当に頑張っていましたし、美しい話ですよね🤩

次の夢はエンジニア!!

お金も貯まったし、筋トレもしている。
やれることはやっているつもりでしたが、現実は甘くはありません。

田舎だったこともあって、近くにカートが買える店なんてありません。

一度親父に小さいサーキットに連れて行ってもらったことがありましたが、
中学生の私がカートを持って行けるようなところにはありません。

しかも、カート本体を買えば終わりというわけではありません。

ガソリン、タイヤ、ヘルメット、レーシングスーツなどの消耗品も必要になります。
とても毎月2万円のバイト代で賄うことができるような金額ではありません。

絶望的な気持ちでした。

さらに言うと、私自身も中学3年生で進路を選ばないといけない時期に来ていました。

なかなかドライバーの夢を見続けるのは厳しいとうすうす感じてはいました。

その頃もずっとF1の雑誌は読んでいました。
今も続いているF1速報という本と、今はなくなってしまいましたが、
F1グランプリ特集という本を毎回買ってもらっていて、
それこそ表紙から裏表紙の広告まで文字通り1文字も漏らさずすべて読みました。

その中の記事で、日本のエンジニアを取り上げる記事が特集されていました。

当時はホンダだけではなく、ヤマハも参戦していたこともあり、
多くの日本人エンジニアが活躍していました。
その方たちを紹介する記事も当然のように読みつくしました。

その中でホンダの後藤治さんというエンジニアの方がいたのですが、
その人が高専出身であることを知りました。

そうか、F1ドライバーが無理ならエンジニアになればいいのか。

その頃から私の夢はアイルトン・セナからF1のエンジニアに変わっていきました。

日本のエンジニアも活躍されていましたが、
以前他の記事でも紹介させてもらったエイドリアン・ニューエイや
ゴードン・マレー、ジョン・バーナードなどの有名なエンジニアがいました。
彼らが私のあこがれに変わっていったわけです。

こうして私の進路は高専に絞られました。

自分で言うのもなんですが、成績は良い方だったので高専に行くと言った時は
両親に難色を示されました。

高専も悪い進学先ではありませんでしたが、工業系の進路に進む可能性が高くなります。
中学生のうちに進路を決めずに、普通の進学校に行けばいいのに、と言われましたが、
私の気持ちはもう高専で決まりです。

頭の中は、ホンダの後藤治さんのようにヘッドセットをつけて
ピットの中でデータを眺めている自分の姿を想像するだけでワクワクしていました。

ふー、長くなってしまいましたがいかがだったでしょうか?
たかだが一オッサンの昔話にお付き合いいただきありがとうござます。

今回はこの辺で終わりたいと思いますが、
またこの話の続きをどこかで書かせてもらいたいと思います。