趣味

鈴鹿が燃えた日 タクマ&ノリック

今日もF1の話をさせていただきます。

いつもF1の話ばっかりですが、話していて楽しいのでいいんです😂

初めて鈴鹿サーキットに行ったのは1993年のことです。
この時の話は以前に記事にしました。
もし良かったら読んでみてください。

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それ以来、F1以外のレースも含めて何度も鈴鹿には足を運びました。

一番多い時期には年に8回も行きました。
わざわざ京都から125ccのバイクに乗って行ったのですが、
今から考えたらよく行ったよなあと思います。

その中で、鈴鹿がめちゃくちゃ盛り上がった思い出のレースが2つありますので
それを紹介したいと思います。

  1. 2002年 F1日本GP
  2. 1996年 WGP日本GP

2002年 F1日本GP

この年にF1にデビューした佐藤琢磨。

今はアメリカのインディで走る琢磨ですが、
この人は本当に速い選手です。

それまでにも日本人F1ドライバーは何人もいました。
彼らも速かったのは間違いないのですが、
どうしてもお金というか政治的な匂いがしたものです。

ですが、琢磨は違いました。

2001年のイギリスF3を圧倒的な速さでチャンピオンを獲得。
記憶が曖昧ですが、海外の主要カテゴリーでチャンピオンを取ったのは
琢磨が初めてなんじゃないでしょうか。

今でいうF2のポジションとして国際F3000があったと思いますが、
どちらかというとF3の方がF1への登竜門として重要なカテゴリーだったと思います。
ヨーロッパの各国でF3が開催されていましたが、
その中でイギリスF3が一番レベルが高いとされていました。

そこで日本人がチャンピオンを取るなんていうことは当時としては
考えられない快挙だったんですね。

本当に速いドライバーはF3でチャンピオンを取って、
国際F3000を飛ばしてF1に来るパターンが多かったですね。
それくらいの才能がないとF1では生き残ることができないということでしょう。

でも、それだけではありません。

各国のトップF3ドライバーが集まるマカオGPでも琢磨は優勝します。

マカオF3というのは事実上の若手ドライバー世界一決定戦です。
注目度は非常に高く、ここで勝てるドライバーでないとF1の世界で活躍するのは無理、
と言っても過言ではないくらいの位置づけでした。
あのミハエル・シューマッハも優勝しましたし、ミカ・ハッキネンも活躍しました
(ハッキネンはシューマッハとのバトルで負けて、クラッシュしてしまいましたが)。

そしてイギリスF3でチャンピオン獲得、さらにマカオF3で優勝という経歴は・・・
そうです。
我らがスーパースター、アイルトン・セナとまったく同じ経歴なんです。

これだけのピッカピカの経歴を引っ提げてF1に殴り込む日本人ドライバーは
それまで一人もいませんでした。
まさに、文句なしの経歴。
期待するなという方が無理というものです。

そんな期待いっぱいでF1デビューを果たした琢磨ですが、
やはり、F1はそんなに甘くありませんでした。

ジョーダン・ホンダでデビューをしたのですが、
ジョーダンの戦闘力が低く、また、主要なスポンサーからの支援も縮小され、
非常に苦しい戦いを強いられてしまいます。

そのような完走すら難しい環境で一年を通して苦しい戦いを続けてきた琢磨でしたが、
この鈴鹿で一気に爆発します。
なんと予選で7番手のタイムを叩き出すんです。
我らが琢磨、そしてホンダの組み合わせ、かつ本拠地である鈴鹿で7番手。

土曜日の時点で鈴鹿は大盛り上がりでした。

そして決勝でも琢磨は素晴らしい走りを見せて5位でフィニッシュ。
今と違って当時のF1は6位までが入賞圏内だったのですが、
それまでのレースを考えたら入賞すら困難な状況だったので、
5位入賞は本当に奇跡なような結果でした。

しかも運ではなく、実力でやってのけた琢磨。

日の丸がスタンド全体で振られ、大きな歓声が上がりました。

このレースで優勝したのはシューマッハだったのですが、
そのシューマッハがレース後のインタビューで
「このレースでは勝者が2人いた。
自分と琢磨だ」
という言葉を残すくらい鈴鹿が盛り上がりました。

これまで鈴鹿では日本人が2度の表彰台に上がっています。
1990年の鈴木亜久里と2012年の小林可夢偉です。

私はどちらも現地でレースを見ていないのでなんとも言えませんが、
この両レースと同じくらい鈴鹿が燃えた日じゃないかと思います。

このレースが終わってから数日間、自分の心がすごく温かかったのを今でも覚えています。
言葉では言い表せないのですが、なんというか・・・温かいんです😚

私はこの年を最後に学生を終えて就職することが決まっていました。
自分も琢磨のようにこれからの新しい生活に向かって頑張ろう、
と思わせてくれるレースでした。

1996年 WGP日本GP

今までF1のことばかりを書いてきましたが、
実は違うレースも見に行ってます。

2輪のレースも好きで、8耐などにも何度も行ったことがあるのですが、
2輪レースの最高峰、WGPにも行ったことがあります。

今はMoto GPと呼ばれるレースですが、当時はWGPと呼ばれていました。
500ccのGP1、250ccのGP2、125ccのGP3の3つがあり、
GP1が最高峰のレースになります。

F1と違ってWGPの世界ではそれまでにも日本人世界チャンピオンが誕生していました。
1993年のGP2チャンピオンである原田哲也をはじめ、
GP3で1994年の坂田和人、1995年、1996年の青木治親と、
毎年のように日本人がチャンピオンを獲得していました
(坂田和人はその後1998年にもチャンピオンを獲得しています)。

このようにWGPの世界で日本人ライダーの地位は十分に確立されている状態でしたが、
ただ、最高峰のGP1では1982年に片山敬済が1度優勝しているだけで、
しばらく日本人が勝てない状況が続いていましたし、
もちろんチャンピオンもいませんでした
(残念ながら最高峰クラスのMoto GPクラスでは今も日本人チャンピオンはいません)。

そんな中で鳴り物入りで1995年にGP1クラスデビューを果たしたのが
ノリックこと阿部典史でした。

ノリックは1993年に全日本ロードレース選手権の最高峰である500ccクラスでチャンピオンを獲得しました。
この500ccクラスのマシンでは2サイクルエンジンを使っていたのですが、
この年を最後に500ccクラスが終了してしまいました。

翌年からは750ccの4サイクルエンジンを使ったレースに移行し、
ノリックもそれに参戦をするのですが、
そこではあまり良い成績を収めることができずにいました。

後で知り合いに聞いた話なのですが、2サイクルと4サイクルだと
乗り方がかなり違うらしく、ノリックは4サイクルエンジンとは相性が
良くなかったようです。

2サイクルエンジンは環境に悪いとされていたので、
この頃から世界中のレースで徐々に4サイクルエンジンへの置き換えが進み始めましたが、
2サイクルから4サイクルへの移行がうまくできずに沈んでいったライダーも
たくさんいたようです。

少し話が逸れました。

このようにうまく新しい環境になじめず、くすぶっていたノリックでしたが、
1994年のWGP日本GPにスポット参戦しました。

当時、まだWGPでは2サイクルエンジンを使っていました。
自分の得意なマシンに乗ったノリックは大暴れ。
チャンピオンであるケビン・シュワンツとケガから復帰してきたマイケル・ドゥーハンを相手に大バトルを演じました。

この時も鈴鹿は盛り上がったと思います。

当時、ノリックは世界的に有名な選手ではなかったため、
「あのクレイジーなライダーは誰だ」
と世界中が驚きを持って彼の快走にくぎ付けとなりました。

ラスト3周の1コーナーで転倒、リタイアしてしまうのですが、
大いに注目を浴びることになったノリックはその時の活躍が認められ、
翌年1995年からWGPデビューをすることになったのです。

そしてデビュー2年目の日本GPで花開くわけです。

このレース、先述の佐藤琢磨のようにノリックも予選から絶好調!!
・・・というわけではありませんでした。
不調というわけでもなかったですが、特に優勝候補に挙げられるような感じでは
なかったと記憶しています。

ですが、レースになったら状況は一変します。

私はこのレースをS字コーナースタンドで見ていたのですが、
ノリックは私の目の前でドゥーハンをパスしてくれました。

S字の最初のコーナーでドゥーハンのインにスススっと入ったノリック。
あまりにズバッと抜いたので拍子抜けするくらいでしたし、
まさかトップを走るとは思っていなかったので驚きもありました。

そこからは一度もトップを譲ることなく優勝するのですが、
トップに立ってからもトップタイムを連発。
決して手綱を緩めることなく、最後まで全開のレースでした。

もう最後の方は祈ってましたよ。

ノリックのことだからまた転倒するんじゃないか。
1994年の日本GPの再現になってしまうんじゃないか・・・

そんなことを鈴鹿全体が心配していたと思いますが、
ノリックが目の前を通るたびに大歓声が沸き上がります。

頼む!!勝ってくれ!!

そんな声が聞こえるようでしたね。

見事にトップでチェッカーを受けると、大きくガッツポーズして、
体全体で喜びを爆発させます。
2コーナーを過ぎたところでストップしたノリックに日の丸が渡されました。

旗を持ってライディングするのはなかなか難しかったのでしょう、
走り始める時にエンストしてましたね🤣

コースマーシャルに押し掛けしてもらい、
再び走り始めたノリックを鈴鹿全体が一体となって祝福しました。
歴史を目撃したという感激とノリックの熱い走りで私は少し涙ぐんでしまいました。
一緒に見に行った友達に冷やかされながらましたけどね😂

この時もとても温かい気持ちになったことを覚えています。

いかがだったでしょうか。

この2つのレースが私の鈴鹿での思い出トップ2です。

これからもそれを上回る感動の場面に立ち会えるように
これからもF1を見続けていきますし、
できるだけ多く現地に足を運びたいと思っています。

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