仕事

異動についての振り返りの続きを書いてみた

前回の記事は長くなってしまったので中断させてもらいました。
今日は続きを書いてみたいと思います。

もしよかったらこれまでの関連記事も読んでみてください。

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前回は工場長から電話がかかってきたところまで書きましたね。

工場長から所属部署の部長に連絡をしてもらい、
元の部署に戻れるように取り計らっていただきました。

部長からは
「国内工場で人手が足りないから期間限定で戻してもらいたいと言われた。
戻る気はあるか?」
との打診がありました。

部長は私が工場長に、戻りたい、と頼んだことは知りません。
この打診があった時には
「当たり前!!帰るに決まってる!!」
と言い出しそうになるところをぐっとこらえなが、
申し入れを受けることにしました。

これで、晴れて元の部署に戻ることができるようになったわけです。

ただ、ちょっと気になったのが
「期間限定で」
という言葉でした。

私は完全移籍で戻れると思っていたのに、
レンタル移籍でということになったからです。

うーん、レンタルか・・・
またここに戻ってきてしまう可能性があるということか・・・

なんだかモヤモヤした気分でしたが、
とにかく今はこの場所を離れることが先決だ。
そう思って何も言わずに受け入れることにしました。

例の課長は何も言わずに私を迎え入れてくれました。
普通、異動してたった1年でまた異動というのは、
何かしらの事情がない限りはやらない人事です。
ましてや元の部署に戻るなんてありえない。

私が工場長にお願いしたことを課長も聞いていたかもしれませんが、
聞いていなかったとしても気づいていたのは確実だと思います。
もしかしたら
「わがままなやつだなぁ」
というような文句を多少言われたかもしれませんが、
そんなことはもうどうでもいいことです😋

ですが、元に戻ることに対して不安がないわけではありませんでした。
理由はどうあれ、元々うまくいかなかったところに戻るわけですから、
またあの時と同じような環境にはまってしまうかもしれない。
今は毎日定時に帰れているのにまた残業まみれの日々に戻ってしまう。

それでもいいのか?

工場長に連絡をする前にも何度も自問自答を繰り返しましたが、
出てくる答えはいつも
「それでもやっぱり、戻りたい」
ということでした。

また同じような環境になるとしても、今の環境よりはマシだ。
今のままだと本当にダメになってしまう。

怖い気持ちもありましたが、
工場長に連絡をした時点でもう覚悟はできていました。

ちょうどその頃、3人目の子供ができたことも、
なんとなくこれからの未来が明るくなってくれるんじゃないか、
という見通しを持たせてくれました。

この職場の人たちも「もう戻るの?」と思っていたでしょうが、
こうしてまた元の工場に戻ることになりました。

3-2.戻ってみたら・・・

元の部署に戻ってきましたが、
いきなり大きな仕事があるわけではありませんでした。

急遽戻ってきたわけで、だいたいの仕事は担当者が決まってしまっています。
自分で何かの仕事を持って帰ってきたわけでもないので、
しばらくはゆったり過ごすことができました。

また、たった1年でもそれなりに変わっていました。

一番大きな変化点は、新人が2人も入ってきていたということでした。

私がいた工場では、毎年新人が配属されることはありませんでした。
2年に1人が平均的な配属割合でしたが、
1年で2人もの人が入ってくるなんてことはほぼありませんでした。

とはいえ、私がいなかった年にも2人ほど配属されていましたが、
彼らはリーマンショック前の好景気の時に多く人を取っていた世代で、
言ってみれば多く取り過ぎた世代とも言えるかもしれません。
ですが、慢性的に忙しい工場においては大変に心強い配属だったと思います。

新人が多くいたこともあって、国内工場では私に割り振られる仕事がなかったのでしょう。
私は海外の仕事をすることになりました。

それまで、周囲の人たちで海外によく行っている人たちがいましたが、
うらやましいなあ、という風に見ていました。

会社の金で海外に行ける、という単純な理由もありましたが、
なにより現場仕事が少ないことに対してうらやましさを感じていました。

日本で仕事をする場合、そこには当然、生産現場があります。
だから、現場から呼び出されることがしょっちゅうあったのです。
先述の現場のリーダーに呼び出されていたように、
何かトラブルがあったらいつも呼び出されるのです。

金曜日の17時になって、帰ろうかなと思っていたら呼び出される、
なんてこともしょっちゅうありました。
そういうトラブルでの呼び出しが慢性的な残業地獄につながったり、
自分たちが思ったペースで仕事ができない大きな原因の一つだったのです。
これは製造現場で働く人なら誰でも同意できるあるあるだと思います。

一方、海外の仕事にはそれがありませんでした。

もちろん、海外の工場にいる間はうまく設備が動かなくて
帰ってこれないなんてこともあるとは思います。
ですが、海外に行っている間はその仕事に専念できるので、
他の仕事をやらなくていいんです。
面倒な会議や委員会業務もありません。

また、海外業務の担当者は日本に帰ってきたら暇になるんです。
なぜなら現場からの呼び出しがないから。
海外の工場がうまくいってなかったとしても呼び出されることはない
(すぐに来てくれ、みたいなので海外に飛んでいく人もいるにはいましたが・・・)
そして報告のための会議もそれほど多くない。
だって、日本の現場の人にとっては海外の工場のことなんて
特になんとも思っていませんからね。

それが私にとってはすごくうらやましく思えたのです。

その一方で、海外の仕事はしたくない、というような思いもありました。

そういうちょっとぬるい環境がかっこ悪く思えた、
というのが理由です。

日本の方が厳しい。
海外で仕事するなんてぬるい環境に身を置くのはかっこ悪い。

そんな風に思っていました。

なので、海外で仕事をすることになった私はまた
「はずされた」
という思いを抱くことになりました。

まったく、どれだけ被害妄想が激しいんだと、
自分で書いていて思いますね😅

ですが、興味がなかったわけではないですし、
今までやったことがない部品を担当することになったので
少し楽しみでもありました。

こうして海外の仕事をすることになったわけですが、
この話はまた別の機会に譲るとして、
海外で仕事をすることでひと悶着起きることになってしまいました。

私が逃げてきた部署の部長から
「国内の仕事が忙しいと言われたから支援のために戻したのに、
なんで海外の仕事をやっているだ。
話が違うじゃないか」
とチャチャが入ったのです。

やべーなぁ、また戻されるんじゃないだろうか・・・

と不安になりましたが、なんとか課長が抑えてくれました
(抑えてくれたというか、うやむやにしたと言う方が正しいかも・・・)

海外の仕事はそれはそれで楽しかった。
だから、余計に戻りたくないと強く思っていました。

そこからは部長にも俺は戻りたくない、今の職場で働きたい、
と訴えるようになったのですが、その部長も私のわがままにイライラしたのか、
「何かひとつでもいいから仕事を終えてから戻るようにしなさい」
ということを言い出すようになりました。

ですがどうしても帰りたくなかった私は、
また工場長にお願いして、部長に話をしてもらうようにお願いしました。

そこから先は、工場長と部長が話をしてくれたのかもしれませんが、
私はもう元の職場に顔を出さないようにしました。
時間が経ってフェイドアウトすることを狙ったのです。
ですが、私はレンタルで移籍していたので、本籍は元の職場のまま。
なんとかして完全移籍を勝ち取らないといつまで経っても
大きなチャンスは私のところに回ってこない。

そう思って、前の職場(戻りたくない職場)の上司に
思い切って直訴をしに行ったのです。

そうしたらその上司、今まで私のことなんて気にも留めていなかったのに、
急に慰留し始めたんです。

「君の実力を私は知っている。
君には残ってもらいたい。」

と猛烈に慰留し始めました。

この時は唖然としてしまいました。

ほとんど話したこともないあなたに私の何がわかるんですか?
私はこの職場にいたらダメになってしまう。
だから絶対に元の職場に戻りたいんです。
もうこの職場はイヤです!!

・・・と、最後の方は感情的になってめちゃくちゃ本心をぶつけていました。

確か2時間くらいだったと思いますが、
けっこう長い間慰留されたのを覚えています。

ですが、私は最後まで、イヤだ、前の職場に帰りたい、
と訴え続けました。
そうしたらようやくこの上司もあきらめてくれたようで、
そうか、そんなにイヤなのか・・・
という感じになりました。

後から知った話なのですがこの上司、
自分のところで人を抱え込んで、自分の好きなように動かす人だったようです。
だから私のことも抱え込んでおきたかったんだと思います。
そうでもなければほとんど話をしたことがないような人間を
手元に置いておきたいとは思わないでしょうから。

この人とはこの後も何度か絡むことになりましたが、
本当にいつも邪魔ばかりしてきました。
この時の恨みがあったとは思いませんが、
本当にいつもわけのわからん大風呂敷を広げて私の邪魔をしてきました。
ああ、あの時の慰留に乗らなくてよかった・・・とつくづく思いましたね。

こうしてその面談から少しして、正式に元の職場に異動することになりました。

あれだけイヤでしんどかった職場に自分から進んで戻るんですから、
馬鹿な話だと自分でも思います。

でも、わがままであったとしてもこの時に戻っておいてよかった、
と今でも心から思えます。
その先に大きな仕事も任せてもらえましたし、
海外に駐在するというチャンスももらえたわけですから。

私は会社を辞める勇気はありませんでしたが、
異動によってもサラリーマンのキャリアが大きく変わることを知りました。
また、異動というものが人によって受け取り方が違う、
ということも身をもって体験したわけです。

私を送り出した課長を責めるわけではありませんが、
やはりちゃんと説明をしてあげないと人は余計な詮索をして
傷ついてしまう可能性があることを知ったのです。

私は管理職になって以降、そのことを常に意識するようにしています。

異動させる時はもちろん、何か仕事を任せる時や逆に仕事を抜く時にも
きちんと背景と狙いを話すようにしています。
仕事を与える時はその人に対する期待をきちんと伝え、
逆にネガティブな理由から仕事を抜く場合でもちゃんと背景を伝えます。
時には厳しいことも言いますが、言葉を選びながらもきちんと伝えることが
その人のためになると信じているからです。

この異動は今までの私のサラリーマン人生の中でも多くのことを学ばせてもらった、
大変貴重な経験でした。

異動をしても給料はそれほど変わらないし、
私の場合は転居も伴わなかったので、転職ほど大きな変化はなかったかもしれません。
なので、多くの場合は
「転職≧異動」
という図式になるとは思うのですが、
『>』ではなくて『≧』にしたのは
サラリーマンにとっては異動もまあまあ大変なんだよ
ということをこの体験で感じたからです。