仕事

異動について振り返ってみた そして、考えてみた

私はこの今月から新しい部署に異動しました。

この件はこのブログの中でも何度か書かせてもらっていますが
今回はサラリーマンにとっての一大イベントである
『異動』
について、何回かに分けて書かせてもらいたいと思います。

1.異動が意味するところ

サラリーマンにとって異動というのはかなり大きなイベントです。
同じ会社であって部署が違うだけで全然文化が違ったりします。
なので、転職ほどではありませんがそれに次ぐくらいの大きな変化点になりますし、
時には転職と同じくらいのインパクトを人生に与えることもあります。

自分が行きたかった部署に異動できたり、
海外駐在をしたり、
大きなプロジェクトに参加したりというポジティブな異動もあるでしょうし、
一方では、うまく仕事をこなせなかったり、
環境や人付き合いに付いていけなかったり、
時として左遷であったりといったようなネガティブな異動もあるでしょう。

これらをどのように捉えるかは自分次第だと思います。

ですが、若い時に異動と年を取ってからの異動というのは
ちょっと受け取り方が変わってくると思います。

何が違うかというと、サラリーマン人生の長さ、です。

これからのサラリーマン人生の長さも違いますし、
これまで過ごしてきたサラリーマン人生の長さも違います。

前者で言えば、新しい出来事に対する受け止め方が変わってきます。
新しい経験を新鮮と捉えられるか面倒と捉えてしまうか、ということです。

後者で言えば、経験値の多さです。
経験の多さは自信につながる一方で自分の殻に閉じこもり、
新しいことに挑戦しなくなるには十分な理由になったりもする厄介なヤツなんです。

一般論で言うと年を取ってからの異動の方がネガティブな結果に
なってしまうことが多いように感じます。

もちろん、すべてはその人次第でどうにでも変わるし、
変えることができるとは思います。

ですが、別の記事でも書いたように頑張ってはいるんだけど
環境の変化にうまく対応できなくて可能性をつぶしてしまう人がいるのもまた事実です。
すべてをその人のせいにしてしまうのは少し酷であると私は思っていますし、
すべての因果を個人に帰してしまうのはマネジメントする側の心得としては
あってはならないことだと私は思っています。

それくらい異動というのは会社に勤めるサラリーマンにとって
重要なイベントであると言えます。

2.私の異動履歴

私の場合で言うと、今回で5回目の異動となります。

1回目の異動はめちゃくちゃネガティブな異動でした。
当時、異動の指示を出した上司にとってはそんなつもりはなかったのかもしれませんが、
私にとっては今でも心の傷になっています。
思い出したくもない思い出ですが紹介したいと思います。

入社して6年目のことです。

当時、仕事が忙しすぎたこともあり、うまく仕事が回せなくて悩んでいた時期でした。

私は製造技術といって、工場で製品を生産するためにいろんな物を準備する仕事をしていたのですが、
私が担当していた生産現場のリーダーがわがままな人で、
私に対してしょっちゅう無理難題を言いつけてきました。

私は
「生産現場の役に立てる仕事をすることこそが製造技術者として一番大切である」
と常々思っていたので、その職長のわがままにもよく応えていたと思います、
自分で言うのもなんですが。

生産現場の不具合があればすぐに飛んでいきましたし、
時にはエクセルの使い方も教えてあげたりしました。

おかげで成長させてもらったところもあると思いますが、
全面的に感謝できるかというとそうとも言えないですし、
当時の私はまあまあ頑張っていたんじゃないかと思います。

いろんなところで無理をしていたので仕事の成熟度が低く、
担当していた製品の量産が始まると、やはりと言うべきか、
すぐにいろんなところで火を吹いてしまいました。

ですが、当時の私が所属していたチームのリーダーも、
そして直属の上司もほとんど助けてくれませんでした。
一方で、私自身も助けて欲しいと言えずにいました。
私の意地だったのかなんなのか、今となってはその原因はわからないのですが、
全部の問題を自分で背負ってしまいました。

現場のリーダーは相変わらず無理難題を言ってきました。

それまで長年問題とも捉えられていなかったことを急に問題だと言い出して、
それが解決できないなら生産はスタートできないと言い出しました。

生産管理の担当者は物が出せなくてイライラして私を責めるし
(だったらお前がやってみろよ、って心の中で叫んでました)、
設計担当者も無理難題を言ってくる気分屋さんで、
試作品と同じ精度で物を作れと言ってきました。

試作品というのは、時間とお金はかかりますが、
生産性をまったく気にせずに作るので品質だけはとても良いのです。

図面規格を満足しているにも関わらず試作品と出来栄えが違うからNGという
わけのわからない言い分を押し付けてきたりしました。

私はあまり人付き合いがうまくないというのもあり、
うまくそれらの問題をさばけずに一人で背負ってしまった私は
間違いなく四面楚歌の状態でした。

しばらくは頑張っていたのですが、ある日プツッと緊張感が切れてしまい、
ああ、もうだめだ・・・
となってしまいました。

そのことをメールで上司にそのことを訴えることにしました。

もうだめかもしれません

確か、こんな感じのとても短いメールだったと記憶しています。

そうしたら上司が私のところにやってきてポツリと
「もうお前は異動が決まってるからいいんだよ」
と言いました。

え?異動?
いいんだよ、って何がいいの?

何を言われているのかが私にはさっぱり理解できませんでした。

私にとっては問題の場から逃げることができるので、
悪い話ではなかったのかもしれません。

上司にしてみれば、私を助けようとしてくれたのかもしれません。

ですが、上司は私に前述のセリフを言っただけであとは何も言ってきません。
なぜ異動になったのかなどの説明は一切してくれませんでした。

自分がうまく仕事をできていないことはわかっていましたが、
異動までは考えていませんでした。
私はただ単に助けてほしかっただけなんです。

それなのに異動を言い渡されてしまった私はさらに悩みました。

自分の仕事がダメだったから飛ばされてしまったのだろうか。
自分が弱い人間であることを見透かされてしまったのだろうか。
まだ解決できていない問題はたくさんあるのに、
自分が担当者として解決しないといけない問題なのに、
ここから逃げ出してしまって周りの人に本当に申し訳ない。

本当に自分を責めましたし、この時の精神状態は最悪でした。
眠れない夜が続きましたし、週末もいつも仕事のことばかり考えていました。

こんな状態での異動だったので、うまく自分の中で消化できませんでした。

今となってはこの苦しかった時期も思い出になっていますし、
経験値として自分の中でエネルギーになっているかもしれませんが、
あれがあったから今がある、というようなセリフを吐くつもりはありません。

こんな思い出、無い方がいいに決まっているからです。

なぜかというと、この事態は回避できたと思うからです。
周囲の人が少し助けてくれれば良かっただけなんです。
リーダーや上司が一緒になって動いてくれれば、
少しでも周囲からの攻撃に対して私を守ってくれれば良かっただけなんです。
そして、上司が異動の説明をきちんとしてくれれば良かっただけなんです。

これらができていれば、回避できたはずなんです。
甘っちょろいと言われるかもしれませんが、
少しの気遣いで回避できたはずの悪い思い出を肯定的に捉えることはできないし、
それを無理やりプラスに考える必要はないと私は思っています。

管理職としての私は自分でも甘すぎかなと思うほど部下に対しては優しいと思います。
ですが、それはこの時の苦しさがあったからこそだと思っています。

部下に厳しく言うだけなら誰にでもできる。
それは時には必要なこともあると思います。
でも、谷底から這い上がれる人間だけが認められるというような組織文化が良いはずがない。
そんな組織が長く続くはずがないんです。

上司やリーダーは部下に寄り添ってあげることが大切、
そう思っています。
前を先導するのでもなく、後ろから押すのでもなく、
横から腕を持って支えてあげる存在でないといけないのです。

あの頃を思い出して熱くなってしまいましたが、
私の1回目の異動はこうして辞令が下りました。

精神的にグチャグチャな状態で新しい職場に引越しをしました。

だから今でも思い出したくない思い出、
今風に言うと黒歴史ってやつですね。

2回目以降の異動の話は次回に続きます。