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英語化は愚民化 インドネシアで感じた言葉の重要性①

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今回も本の紹介を。

 

『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』  施 光恒 著



数年前、英語をもっと日本語の授業に取り入れようとか、
英語だけしか使ってはいけない特区を作るというような構想が流行ったことがありました。

この本はその頃に書かれているのですが、英語化を盲目的に進めてしまうと日本の国力が落ちてしまうということを古今東西、いろんな書籍や学者の言葉を引用して論理的に解説してくれている本で、間違いなく良書です。

最近はこの時のように過激な日本の英語化を推し進める動きは少なくなってきたと思っていますが、それでもやはり日本人の英語コンプレックスというか英語をありがたがる傾向がはびこっているのは間違いないと思います。

私はインドネシアに駐在する前にこの本を読んだのですが、
インドネシアで生活や仕事をしていて、この本に書いてあるとおりだなあと思うことがたくさんありました。

というか、この本を事前に読んでいたからこそインドネシア人の生活・文化の在り方や産業構造の脆弱さの原因について、多少なりとも客観的な考察をすることができたのだと思っています。

少し古い本ですが、ぜひ皆さんにも紹介したいと思い、今回改めて読み直してみました。

私のインドネシアでの経験に基づいて本書の内容を紹介をさせていただきたいと思います。

Baik, ayo mulai !! 🤩
(インドネシア語で、それでは始めましょう、の意味です😋)

もくじ
  1. 『翻訳』と『土着化』
  2. 自国語で専門的な話ができることの重要性
  3. 言葉に関する私の思い

 

『翻訳』と『土着化』

本書では英語を重要視し過ぎて自国語を育てないことの恐ろしさを述べられていますが、
自国語を育てるために『翻訳』と『土着化』が重要な手段であると説いています。

この2つの言葉は本書の主題と言ってもいいくらいに重要な言葉として何度も登場します。

今でも頻繁に耳にする言葉としてグローバル化というものがありますが、
グローバルに活躍するためには日本語なんて捨てて英語化してしまえばいいのだ、
という過激な意見を言う人や、英語を公用語にしてしまうような企業が少なからず存在しています。

ですが、人類発展の歴史を紐解くと、ある特定の言語に集約するのではなく、さまざまな国の言葉、つまり土着語を発展させてきたからこそ社会や文化の発展ができたのだと説かれています。

もともとヨーロッパではラテン語という当時のグローバル言語がありました。
ラテン語を使える人、つまり当時のエリート階級の人たちだけが聖書を読むことができ、高度な専門知識を身に付けることができたそうです。
一方で大勢の庶民は身の回りの生活のことを話すための土着語しか使えなかったので、聖書を読むこともできず、ましてや社会や科学などを議論することがまったくできなかったそうです。

そうなるとラテン語を使いこなせる一部の特権階級に人たちに権力が集中してしまうため、
宗教改革で有名なルター達が聖書をそれぞれの土着語、つまり今のフランス語やドイツ語などへの翻訳を進めました。

これにより、大勢の庶民が聖書を理解することができ、自分たちの言葉で高度な話題や抽象的な概念をを論じることができるようになったことによって人類が大きく発展することができたのだと述べられています。

つまり、自国語を疎かにしてグローバル言語とされる英語だけが使えればいいのだと考えるのではなく、それとは真逆の翻訳と土着化をすることこそがグローバル化につながるのだと。

私がインドネシアで思ったことは、自国語になりきれていない外来語が多く使われていることと、語彙が少ない言語であるということでした。

日本でもカタカナ表記されるような外来語はたくさんあります。

私たちも無意識にそれらを生活の中で使っていますが、たいていのカタカナ言葉は日本語に翻訳することができます(本来の言葉の意味と間違った形で翻訳されていることもありますが)。

ですが、インドネシアの場合は自国語になりきっていない外来語がたくさんありました。

たとえば、

確認する Comfirmation → Konfirmasi

精度 Precision → Presisi

会話 Communication → Komunikasi

潜在性 Potensial → Potensi

などです。

どうです?なんか似てませんか?
というか、そのままやん、って思ってしまいませんか?

日本語で聴衆という言葉があります。

この本を読む前に聞いた話なのですが、この言葉はもともと日本に存在しなかったらしいですね。
Audienceという英語を日本語に訳す時に、どうすれば日本人の感覚に合うような形で翻訳できるかということを考えた結果、この言葉が生まれたそうです。

今だから言えることかもしれませんが、Audienceを聴衆と翻訳した人の感性には本当に感服するしかありません。

私は日本語は今私たちが使っている形態として完全な物がもともとあったのだと思っていたので、外国語から翻訳されて生まれた日本語があるということを中学生の頃に知って衝撃を受けたことをよく覚えています。

インドネシアでも同じように外来語をインドネシア語に翻訳しようと試みた形跡は見えますが、英語をちょっと変形しただけの形になっているところが「自国語になりきっていない」ところだと感じました。

表意文字(漢字のように文字に意味がある)を使う日本語とは違ってインドネシア語は表音文字(アルファベットのように意味がなくて音だけの文字)を使うので仕方がないところもあります。

ですが、さきほどの聴衆のように、その国の人がすとんと腹に落ちるような言葉になりきれていないところを見ると、土着化まではできていない言語なんだなといつも思っていました。

あとは、語彙が少ないということ。

インドネシア語の通訳さんがいたのですが、日本語を通訳してほしいということをお願いした時に
「そういう言葉はインドネシア語にはありません」
と言われることがしばしばありました。

一人だけではなく、数人の通訳さんからそのように言われたので、
通訳さんの実力が劣っていたことだけが原因ではないと思います。

おそらくですが、翻訳と土着化が日本語ほど強く推進されなかったために、
このようなことになったのだと私は推測しています。

語彙が少ないことや、土着化しきれていない外来語が多いためか、
インドネシア人は論理的な話をするのがとても苦手な民族だというのが私の印象です。

インドネシアの文化を教える先生(もちろん、インドネシア人です)も
「インドネシア人は論理的に話をするのが苦手である」
と言っていたので、私の印象もあながち間違っていないと思います。

こちらが説明を求めた時に支離滅裂な説明をされることが多かったのですが、
その人の能力に起因する要素はあったのでしょうけど、
そもそもインドネシア語がそういう特性を持った言語であることも遠からず影響していると私は考えています。

論理、思考は言葉によって成り立つ

これが紛れもない真理である以上は、母語の特性にその言葉を使う人々の思考の癖が似るのは避けて通れないことでしょう。

長くなってしまったので、今回はひとまずここで切りたいと思います。

次回へ続く。

 

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