仕事

『やれる』と『やれてしまう』は表裏一体

こんにちは。かこかと申します。

最初に簡単な自己紹介をさせてください。

  • 大手企業の生産技術を研究/開発する部署の課長
  • 金属切削の製造技術歴 約20年
  • 上司と部下の人間関係を中心に仕事のことを書いています
  • インドネシア駐在経験あり。インドネシア語検定C級、簿記3級を持ってます
  • 小さくてもいいからガッツポーズができる人生を目指しています
  • 今回も最近読んだ本を紹介します。

自己紹介 はじめまして ご訪問いただきましてありがとうございます。 自己紹介させていただきます。 出...

Twitterもやってます。

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コロナによって大変な思いをした方はたくさんいらっしゃると思いますが、
ほんの少しだけ良い点もあったと思います。

そのうちの一つがオンライン環境が充実し、在宅勤務などの会社以外でも仕事ができるようになったことだと私は思っています。

今までは会議に出席するために会議室を渡り歩いたり、長い時間をかけて誰かに会いに行ったりということをしていましたが、オンラインによりその時間が激減しました。

直接会えないことによる弊害もあるとは思いますが、移動時間が減ったこと、
そして、どこでも仕事ができるようになったことはコロナによってもたらされた恩恵であると私は思っています。

このように一見便利になったようにも思えるオンライン環境ですが、
必ずしも良いことばかりではありません。

今回はそこら辺のことを書いてみたいと思います。

Baik, ayo mulai !! 🤩
(インドネシア語で、それでは始めましょう、の意味です😋)

もくじ
  1. どこでも仕事ができる、はいいことか?
  2. 従来の慣習を変えていかないと不公平が蔓延する
  3. 生産現場でのやれることとやれてしまうこと

 

どこでも仕事ができる、はいいことか?

 

今はパソコンとインターネットさえあればどこでも仕事ができるようになりました。

生産現場や大きな装置を使うような職種はそういうわけにはいかないと思いますが、
環境さえ整えてあげればこの2つさえあれば場所を選ばない職種は多いと思います。

私も在宅勤務を好んでやっています。
毎日往復で1時間以上の通勤時間がないだけで、かなり生活の余裕度が変わるからです。

カフェなどに行くと明らかに仕事をしているんだろうなという人も少し前に比べても増えていると思います。

便利な世の中になったなぁ、と思うと同時に、これでいいんだろうかと思ってしまうこともあります。

どこでも仕事ができるということは、つまり、どこでも仕事がやれてしまう、ということと同義であるからです。

たとえば私のような管理職の立場で言うと、部下の仕事を管理するのが難しくなります。

サボっているのかどうかもわかりませんし、逆に夜中まで仕事をされてもそれを把握することが困難になります。

部下は部下で、どこでも仕事ができてしまうがゆえに、頑張らないといけないと思ってしまったりもします。

実際、私の部下は私が指示をしていないにも関わらず、土日を使って仕事をしていました。

もちろん、ちゃんと話をしてやめるようにしてもらいましたが。

このようにサービス残業と取り締まりはいたちごっこで、いつまで経ってもなくならないと思いますし、「どこでもやれる」というポジティブな状況ではなく、「どこでも仕事をやらされてしまう」というネガティブな状況になってしまうことが往々にしてあります。

とはいえ、もう昔のように全員が決まった時間に会社に集合して一斉に仕事を開始する、
という姿には戻らないでしょうし、戻りたくもないと思ってしまいます。

会社は(というか人事は)なんとか社員を管理しようとしますが、誰もが幸せになるような管理の方法はたぶん、永久に見つからないでしょう。

 

従来の慣習を変えていかないと不公平が蔓延する

 

私が働く生産職場は、在宅勤務が難しい職種の一つです。

なぜなら、製品を作る設備がないと仕事にならないからです。

コロナがピークを迎えていた頃はそれでも週に1、2回は感染拡大防止のために在宅勤務をやってもらいましたが、それでもやはりみんな仕事がやりづらそうでした。

一方で、週に5回在宅勤務をやっている人たちも同じ会社の中にいました。

つまり、会社に出てこないということです。

みんながみんな在宅勤務を望んでいるわけではないでしょうけど、私の価値観からするとこれはとても不公平であると言わざるを得ません。

片方は通勤時間がないのに片方は通勤時間がある。
もちろん、その間の給料は出ないわけです。
それだけでも十分に不公平だと思います。
自分でそういう環境を選んだわけでもないですしね。

というか、そもそも今までの9時に出社して17時に帰るという形態自体がもう今の実態に合っていないんだろうと思います。

どこでも仕事ができるんだったら、自分のやりたい時間にやればいい。

そして、1日8時間働かなくても、与えられた仕事を最低限こなしさえすれば
別に1日4時間だっていいのかなと思います。
忙しい日もあればそうでもない日だってあるわけですから、
月の中で平均して1日8時間になればいい、という考え方がいいのかもしれません。

私が思うに、在宅勤務ができない会社や職場はどんどん人が集まらなくなっていくと思います。

もともと工場などの生産現場は3K職場と言って嫌われていて人気がない職場なのに、さらに在宅勤務もできないとなると、どんだけ不公平やねんと私なんかは思ってしまいます。

このような不人気職場に人を集めるためには、賃金を上げないといけないと思います。

今働いている人たちだって、不公平だ!!と声を上げていいと私は思っています。
もしかしたら、どこかの会社ではそのような声が出ているかもしれません。

一番やっかいなのは、配属ガチャです。

希望の会社に入ったはいいものの、不人気職場に配属されてしまうとそこから抜け出すのは本当に至難の業です。

自分が努力もせずに競争に負けて、その結果として不人気職場に配属になってしまったのであれば受け入れざるを得ないかもしれませんが、
会社側の都合だけで配属されてしまうのですから、たまったもんじゃありません。

これからの採用活動というのは、配属先とその職場の環境がわかる形で説明し、お互いが納得した形で入社するという姿が望まれると思います。
これまでもそういう会社はあったと思いますが、どんどん加速していくと思いますし、そうなってほしいと思います。

そして、会社側の都合だけで配属を決めたいのであれば、採用のタイミングでちゃんとそのことを伝える。
その代わり、賃金を少し他より高くしてあげるとか、内定がもらいやすいようにするとか、そういう交換条件をしっかり提示してあげるべきだと思います。

今のように、平等なように見えて実は極めて不公平(不平等じゃなく)なやり方は今後どんどん嫌われていくと思います。

いつまでも人を人と思わないような採用をしている会社なんて、つぶれてしまえばいいとすら思います。
私は希望の配属をしてもらえなかった側の人間なので、20年越しに恨みを吐き出してみました😂

 

生産現場でのやれることとやれてしまうこと

 

これまでとはちょっと毛色の違う話ですが、実は生産現場にもやれることとやれてしまうことストーリーがあります(セイン・カミュ風)。

生産現場では、製品の品質が思ったように確保できない場合、設備を調整します。

何も考えずに決められた手順通りにやっていれば、合格品が生産できる。

そういう環境を誰しもが臨みますが、残念ながらそういうわけにはいかないので多かれ少なかれ、調整作業が発生します。

ですが、この調整という作業は嫌がられるんですよね。

なぜかというと、調整には時間がかかるからです。

一回の調整でうまく合格品が作れればいいのですが、たいてい一回ではうまくいかないものなのです。

そして、作業者の腕によるところが大きいので、調整作業ができる人を教育するのにも時間がかかります。

そういうことが不要になるよう、私のような生産技術の人間は、できるだけ調整作業がいらないような設備作りを目指します。

ですが、どうしても設備というのは時間とともに状態が変化していきます。

動いている設備ならば必ずどこかが傷んできたり摩耗したり、形がゆがんできてしまったりもします。

その度合いが進んでいくと、今までと同じ状態を維持しているだけでは合格品が作れなくなってしまうのです。

そうなると、不具合が出た時に調整できるような構造になっている設備は喜ばれます。

大幅に設備を修理しなくても、ちょこっと調整してあげればまた生産を継続できるようになるからです。

ですが、そういう状況も良いことばかりではなく、悪いこともあります。

調整できるということは、いじれてしまうということになるからです。

本当は触らなくていいのに触ってしまうとか、間違って触ってしまってさらに悪い状態になってしまう、というようなことが往々にして発生するんですよね。

だから生産技術の人たちは、『やれる』と『やれてしまう』を両立させられるような設備作りが求められますし、これを高い次元でバランスさせられる人こそが、レベルの高い生産技術者だといえるでしょう。

私もこれまで何度もこういう場面に出くわしましたが、ここをうまく乗り切るアイデアを出せるかどうかが腕の見せ所だと思って、必死に頭をひねりました。

では、どうやってこのような両立するのが難しい状況を乗り越えてきたのか。

乗り越えられたかどうかは私には判断できませんが、私の考え方を書いておきたいと思います。

まず、私は『やれる』設備にすることを大前提に考えます。

そうじゃないと経年変化に耐えられない設備になってしまうからです。

ですが、基本的にはその作業をやらなくてもいいようにします。

その作業をやることを前提にしてしまうと、そこでの調整作業ありきの生産になってしまうからです。

ですから、やれるようにはしつつも、原則的にはやらなくてもいいような仕組み作りを心がけます。

その一方で『やれてしまう』をどう防ぐかというと、これはもうルールを作るしかないと思っています。

こういう場合はこうしなさい、という作業標準を作るんですね。

ですが、ルールを作れば誰でも同じようなことができるわけではないので、極力簡単にできるようなルール作りに努めます。

場合によっては、簡単なルール作りをするために、元の構造を大きく変えてしまう、なんてこともやりました。

このようにしておけば、『やれる』を最大限に活用しつつ、『やれてしまう』ことによる弊害を少しでも抑えることができるようになります。

この辺りは生産職場の人たちとよく会話をしながら、彼らに納得してもらえるように話し込んでいくことが重要になります。

そして、生産職場の人たちができるだけ簡単に作業をできるように頭をひねることが我々生産技術者の役割ですし、そこでうんうんと頭を悩ませる人は、生産職場の人たちからの人気も高い、というのが私が長年やってきた経験から言えることです。

 

 

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