仕事

良質の物わかりの悪さと悪質な物わかりの悪さ

私は小さい頃から物わかりが悪いと自覚しながら生きてきました。

親戚のおじさんに
「あれやっといてくれ」
「あれ取ってきてくれ」
というような依頼を受けるのですが、たいていの場合しっかりやり遂げられなかったからです。

そのたびにおじさんから怒られるので、ああ、俺は物わかりが悪いんだ、
とずっと思ってきました。

今風に言うと、読解力がない、ということなんでしょうね。

仕事でもそうです。

周りの人が理解できていることでも、自分だけ理解できていなかったりする。

俺の脳みそどこ行った?と自分で聞きたくなるようなこともあります😅

以前、これに似た内容の記事も書きました。

飲み込みが悪いのはバカなわけじゃない 野球部の練習に思う私の息子は中学校で野球部に所属しています。 時々練習や試合を見に行くのですが、常に怒鳴っている監督を見ていると 日本社会の縮図に...

こんな脳みその構造に劣等感を抱くことも多いのですが、
私は必ずしも物わかりが悪いということを悪いことだとは思っていません。

それについて今回は書いてみたいと思います。

  1. 頭の中に他の選択肢が浮かんでくる
  2. 違うことを考えている
  3. まとめ

頭の中に他の選択肢が浮かんでくる

こっちとそっち、どっちが正解なん?

私の場合、例の親戚のおじさんから言われた時に思うことはいつもこうでした。

つまり、おじさんからの情報が足りなくて判断できない場合が多いのです。

あれを取ってきてくれ、と言われてもそれがどこにあるかがわからない。

だから押し入れに行けばあるのか、外の小屋にあるのか、それがわからない。

ちょっと極端な例かもしれませんが、おじさんの言っていることがいくつもの選択肢が思い浮かぶんですね。

まあ、おじさんの話をもっとちゃんと聞いていれば、
もしかしたらその依頼の前後の文脈から理解できるのかもしれませんけどね。

ただ、おじさんに怒られた時にいつも思っていたのは、

そんなん知らんし

とか、

そこまで言われなわからんし

ということです。

少ない情報から行間や文脈を読み取って真意をくみ取るという力は読解力の高さのなせる業だと思います。
そういうことが自然にできる人というのは頭が良い人なんだろうなと思います。

ですが、私から見ると、
なんでその選択肢しか思い浮かばへんの?
こういう解釈もあるんじゃないの?

という風に聞こえてしまうんです。

大人になってからも同じです。

何か指示を出されても、私は細かく質問をします。
そうじゃないと理解できないからです。

いや、質問できる雰囲気でない場合は怖気ずいて質問できませんが、
とにかくいろんな疑問が浮かんでくるんです。

はい、ここまで読んできて、
「お前が頭悪いだけやろ」
と思われた方。

半分正解です。

なぜ半分は不正解かと言うと、
指示の中に含まれた情報の質と量が悪いから
なんですね。

確かに頭の良い人はそこまで言わなくても理解できるのかもしれません。
そんな人にはきっちりと高い評価をもらって出世してもらえばいいでしょう。

ですが、万人にそれを求めているのだとしたら、それは指示する側の傲慢だと思うわけです。

ましてや管理職であるならば、私のような物わかりが悪い人にもわかるように指示を出さないといけない、と私は思っています。

どこまでが決められたことに従わないといけなくて、
どこからが自分で考えて良い領域なのか。

それをきちんと伝えてあげるべきだと思っています。

違うことを考えている

選択肢がいっぱい頭に浮かんでしまうということもあるのですが、
もう一つあるのが、
違うことを考えている
ということですね。

まあ、これは「お前が悪い」と一刀両断してくれてもいいのかもしれませんが😂
選択肢が多く頭に浮かぶので、あれはどうしよう、これはどうしよう、
と考えているうちに主題から思考が離れていってしまうんですね。

だから私はよく、人の目を見ながら話をしているのに人の話を聞いていない、
ということがよくあります。

自分でもふと我に返って、人の話を聞いていなかったことに自分でもびっくりすることがあります。

もちろん、思いっきり目を見ながら話をしているので、
「で、なんでしたっけ?」
とは聞けない。

そんなことで恥ずかしい思いをしたことが何度もあります。

まとめ

とまあ、ここまであまり人には言えない話、
セイン・カミュ風に言うと恥ずかしいストーリーを書いてきましたが、
こんな私から見ても
この人は物わかりが悪いなあ
と思う人がいるものです。

ここからは自己擁護になるかもしれませんが、ご容赦ください😓

私から見た物わかりが悪い人と、自分との差はなんだろう?
と考えたことがあります。

そこで今のところたどり着いた結論は

理解ができない理由が言えるかどうか

ということです。

学校の勉強で言うところの、

わからないところがわからない

ですね。

私は、わからないところがたいていの場合わかっています。
説明しろと言われれば説明をします。
長くなるので聞きたい人はいないでしょうけどね。

ですが、私から見た物わかりの悪い人というのは、
わからないところがわからないんですね。

でも、そういう気持ちもわからないでもありません。

私は部下と個人面談、いわゆる1on1というのをやりますが、
話の主題は、お互いのわからないところを確認しあうことをやります。

あの時はどう考えてたの?

俺の言ってることでわからないことはある?

わからないことがあれば行ってみて

という具合に。

なかなかみんなの前では質問できないこともあると思いますし、
そこで恥ずかしい思いをしていたとしたならば、それはもしかして私の指示が悪かったのかもしれません。
そこについては素直にこちらの非を認めてあげないと、相手がかわいそうですよね。

ちなみに私の口癖は

俺の言ってることわかる?

です。

自分が説明下手なことはわかっているので、できるだけ自分の言ってることを相手に理解してもらいたいからです。

そして、この手の内容で話をすると、その人の人となりがより多くわかるようになってきます。

ああ、この人はこういう思考回路を持つ人なんだな、という考え方のクセのようなものがわかってきます。

一見物わかりが良いように見えても、ただ自分勝手に判断しているだけのこともあります。

実はこういう人こそ物わかりが悪い人なのかもしれません。

そういう思考のクセを見るためには、答え合わせトークをすると面白いと思いますよ。