こんにちは。かこかと申します。
最初に簡単な自己紹介をさせてください。
- 大手企業の生産技術を研究/開発する部署の課長
金属切削の製造技術歴 約20年 - 上司と部下の人間関係を中心に仕事のことを書いています
- インドネシア駐在経験あり。インドネシア語検定C級持ってます
- 小さくてもいいからガッツポーズができる人生を目指しています
- アイスクリンというアイスクリームが好きです
https://www.shibakin.com/self-introduction/
Twitterもやってます。
https://twitter.com/Shibakin_2019
みなさん、日々頑張って仕事をしていらっしゃると思います。
いつもご苦労様です。
ですが、自分の頑張りが社会の役に立っているのだろうか、
と考えたことはありますか?
会社の役に立つ、というのはもちろん、社会の役に立てているか、
ということを考えたことはあるでしょうか?
今回は合成の誤謬という言葉を使って日本社会の弱点について書いてみたいと思います。
これまでに書いた関連記事も読んでいただけると嬉しいです。
- 頑張ることは常に良いことなのか?
- 合成の誤謬
頑張ることは常に良いことなのか?
仕事をされている方の大部分は毎日頑張っていらっしゃると思います。
上司や顧客からの強いプレッシャーに耐え、毎日遅くまで仕事をしていらっしゃる方がたくさんいます。
本当に頭が下がる思いですが、
あなたの頑張りは本当に多くの人の役に立っているのか?
と聞かれた時に自信を持ってYESと答えられるでしょうか?
私自身は・・・そうありたい、フェアでありたいと常に思ってきましたが、
うまくできていたかは自分では判定できませんね。
そんな自分のことを棚に上げつつ、私が勤める会社の調達部門にいるFさんについて書きたいと思います。
調達部門、会社によっては購買部門と呼ぶところもあるかもしれませんが、
Fさんはその部門でもかなりの頑張り屋さんで有名です。
調達部門というと、取引先との価格交渉を担当する部門ですが、
取引先からは、Fさんの要求が厳しすぎる、といつも恐れられています。
まあ、調達部門というのはそういうところだからある程度は仕方がないかなとは私も思いますし、
取引先の人たちも当然承知はしてくれています。
Fさんは会社のために1円でも安く物を仕入れようと責任感をもって頑張っています。
Fさんのが頑張っていることは周りの人たちも認めていると思います。
ですが・・・私から見るとちょっとやり過ぎなんじゃないかと思わざるを得ないんですね。
先日あった話です。
ある設備を購入する際には相見積を取得します。
1社だけだと競争の原理が働かないので無駄に高い物を買わされてしまうかもしれないので、
特に高額な設備の場合は必ずといっていいほど相見積を取得します。
その時もA社とB社の2社で見積を取得し、Fさんに提出しました。
そこまでは今まで通りだったのですが、しばらくするとB社の担当者から泣きの電話が入りました。
何事かと思ったら、
Fさんから見積のかなり細かいところまで明細を出すようにと指示があって本当に困っている。
ここまでやらないといけないのであれば、今回の件から下りたいのだがそれでもいいか
ということでした。
詳しく聞いてみると、確かにFさんからかなり細かいところまで明細を出すように指示をしていました。
担当者の人は本当に困り果てていましたので、難しいようなら断ってくれてもいいよ、とだけ伝えましたが、
彼らも商売である以上あきらめることはできず、渋々明細を書いて提出すると言ってくれました。
私としても本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
Fさんからすると、A社とB社の価格差の原因をつかむために『頑張った』んですね。
ですが、A社とB社では設備の作り方も違うし、仕様がまったく同じかと言えばそんなこともない。
トヨタの車と日産の車で比較をしている時に、すべての仕様を出すように言ったとしてもそれは出てこないでしょうし、
仮に出てきたとしてもそれの優劣や価格の妥当性を比較するのは極めて難しいでしょう。
ですが、Fさんは『頑張って』それに挑もうとしたわけです。
自分だけが頑張るのであればいいのですが、誰かを巻き添えにしながらというのが、
Fさんの考え方に首をかしげてしまうところです。
もしかしたら上司には褒められるかもしれない。
安く設備を買ってこれたなら、もっと上の上司からも褒めてもらえるかもしれない。
ですが、それが他人の犠牲の上に成り立っているということに対して、
見積をお願いした私としてはやりきれない思いを抱かざるを得ませんでした。
合成の誤謬
冒頭にもリンクを貼りましたが、今日本の経済はかなり落ち込んでしまっているということを最近記事にしました。
日本という国の価値がどんどんと下がってしまっている状態なんです。
各個人、各会社は良い物を作りながらもコストを極限まで下げ、できるだけお客さんに安く提供しようと頑張ります。
その行動自体は決して悪いことではないのですが、
みんながみんな、そういう行動をとってしまうことで日本全体の生産性が上がらなくなってしまい、国としての価値が下がるということにつながっているのです。
こういうのを合成の誤謬と言います。
個人個人は一見正しいと思える行動をとっているのに、全体で見ると逆の効果を生み出してしまっている、という現象です。
私は常々、この購買の仕事に対して疑問を抱いていました。
価格の妥当性というのは直接購入する物を選択する技術者でも理解できます。
今回の例のように、他と比較すればだいたいわかりますからね。
技術者は納得できるところまで仕様と価格をつめていきますので、ほぼそこで価格交渉は終わっているんですね。
であれば、購買は何のために価格交渉しているかというと、
私には最後の脅しのためにやっているとしか思えないんですね。
特に技術者でない購買担当者は物の良し悪しを適切に評価することができない人が多いです。
今回のFさんのように、数字を並べてどっちが安いかどうか、という判断しかできない場合が多いんですね。
以前、商品に組み込む部品を購入するにあたって、自分たちでは目利きができないから、
という理由で調達の人たちと一緒にメーカーさんを訪問したことがありました。
当然、私たち技術者は目利きができますので、このメーカーが信用できる作り方をしているかどうかを評価することができますが、
私と一緒に同行した調達の人は
「正直、自分たちが見てもわからないんですよね・・・」
とボソっと言っていました。
であれば、彼らはいったい何の仕事をしているのか?
と思ったことがありました。
じゃあ、値切るのをやめて高い金額で買ってやれよ、ということになると思うのですが、
確かにそれも簡単に受け入れることはできません。
それは、甘い私だってそう思っています。
だって競合他社もどんどん安く取引先を買いたたいているわけですから、
我々も同じことをしないと競争力が落ちてしまいますからね。
ですが、私としては取引先の人も満足してもらえるような取引ができないものかと
いつも思っています。
取引先の人も首をうなだれるほど買いたたかれながらも、
しょうがない、これが商売だから・・・
と受け入れています。
たとえお客さんであってもあまりに傲慢であるならば断わってもいいのではと思うのですが、
そう簡単にはいかないものですかねぇ・・・
なんとかして日本の国力を高めたいと、一会社員である私も思っているわけであります。