仕事

和を以て貴しとなす 本当にそれでいいの?

こんにちは。かこかと申します。

最初に簡単な自己紹介をさせてください。

  • 大手企業の生産技術を研究/開発する部署の課長
    金属切削の製造技術歴 約20年
  • 上司と部下の人間関係を中心に仕事のことを書いています
  • インドネシア駐在経験あり。インドネシア語検定C級持ってます
  • 小さくてもいいからガッツポーズができる人生を目指しています
  • 甘い物が大好きです

https://www.shibakin.com/self-introduction/

皆さんはある課題に対して何をやればいいかがわからない時や、
壁にぶち当たって次の一手が出てこない時にはどうしますか?

いろんな方法があると思いますが、先輩に相談する、というのは
一般的な手ですよね。

しかも、できるだけいろんな人から意見を聞いた方が良い、と思うでしょう。

でも、本当にそれでいいのでしょうか?

今回はそんなことを会議で感じたことを交えながら書いてみたいと思います。

  1. 三人寄れば文殊の知恵は本当か?
  2. 制約がないと人は考えることができない

三人寄れば文殊の知恵は本当か?

最近、ワイガヤという言葉がだいぶ一般的になりつつあります。

私の知る限り、このワイガヤというのは本田技研で生まれた文化だと思いますが、
かなり一般的な言葉になってきていますよね。

ワイガヤというのは、ワイワイガヤガヤの略で、
つまりみんなで集まってワイワイガヤガヤ話をしましょう、
という意味です
(本当はもっと深い意味があるのかもしれませんが・・・)

会議というとなんだか堅苦しい。
ミーティングというとちょっと違う。
でも、みんなで集まって話をしたい。

そんな時に会議招集のタイトルに付けるのが
「ワイガヤ」
ですね。

この文化自体は素晴らしいものだと私も思っているのですが、
最近はこれが形骸化しつつあるのもまた事実です。

形骸化というか、ワイガヤをやること自体が目的になってしまっている、
という方が正しいかもしれません。

本来は何かしらの目的があるからやるのがワイガヤだと思うのですが、
とりあえず集まってみるとか、
コミュニケーションを活発にするためにワイガヤを定例化しましょう、
というようなことすらあります。

ひどいところになると、ワイガヤをやらないと自分で方向を決められなかったり、
何か問題があった時に
「ワイガヤをやって有識者の意見を集めていませんでした」
と反省材料に使われることすらあります。

みんなの意見を聞いていれば、たとえ結果が悪かったとしても、
みんなで考えたならしょうがない、
という風に捉えられたりしますし、それをやっていなかったら、
やらなかったから失敗したんだ
という反省につながったりするわけです。

本末転倒ですよね。

本来であれば
何かを決めたい
いろんな人の意見を聞きたい
アドバイスをもらいたい
などの目的があってこそこのワイガヤというのは意味をなすと思うのですが、
それが曖昧な状態でやってしまうとまとまるものもまとまりません。

一番悪いのは、無理矢理に意見をまとめようとして誰もが納得できないような、
でもまあ反対するほどじゃないしな、
というような結論が導き出されることです。

三人寄れば文殊の知恵と言いますが、実態は船頭多くして船山に上るになっている場合が多いのではないでしょうか。

いったい、何のためにワイガヤをやっているのかと思ってしまいます。

制約がないと人は考えることができない

さきほども言いましたが、大勢が集まって議論をすることは決して悪いことではありません。

では、どういう会議、ワイガヤが価値が低いのかというと、

  • 目的がはっきりしていないこと
  • リーダーがいないこと

だと私は思っています。

目的がないことによる弊害はさきほども書きましたが、
あともう一つ大切なのはリーダーがいないことだと思います。

活発な議論を促す手法として有名な物にブレーンストーミングという方法がありますね。

発言を否定しない、というグランドルールの下に参加者が全員で意見を言い合う手法ですが、
これもリーダーがいないとただの懇親会になってしまいます
(懇親を目的にしているのであればもちろん問題ありませんが)。

人というのはある程度制約がないと物事を考えられなくなるものだそうです。

すべてを自由にしていいよ、君に任せるよ、
といって誰かに任せるのは聞こえはいいですが、
実はそういうのって丸投げだったりしますよね。

目的や与えられた資源、従うべきルールなど、ある程度の制約を与えてあげないと
人はどこを目指していいかわからなくなってしまうんです。

ワイガヤでも、自由に議論しましょう、といって司会者が会話を促すのですが、
それだとみんなが思い思いに話をし始めてしまうか、
あるいは逆に何も話せなくなってしまうと思います。

今回は何を目的にしているのか、というのを全員が理解し、
そして自由にとは言いながらもある程度リーダーが良い意味での制約として存在する。

こういう会議こそが良い議論ができる環境だと思います。

私が今所属している部署でも、ワイガヤが定例会として設定されていました。

これまでもやっていたワイガヤなので私も何も考えずに参加しました。

少し様子を見ていると、みんな比較的意見を出し合っているのですが、
どうも焦点が合わない会話がずっと続いているように思えました。

何度か参加した後、どうしてもその違和感が消えなかったので
「この会の目的って何なの?」
と聞いてみたところ、誰も明確に答えてくれませんでした。

私は、よくも今までこんな状態で会話が進められてきたものだ、
と驚いてしまいました。

聞くところによると数か月に一度、このワイガヤの状態を上位に報告する会があるそうで、
何かしらやっていないと報告できないから、というのがそもそものきっかけだったそうです。

今、私は、どうすればワイガヤを活用できるのかということを伝える方法と、
この会をどうやって解散するのかを考えているところです。